交流分析・・・ミニ脚本

交流分析において人生脚本は有名です。
人生脚本は長期的に人生を考える概念ですが、それに対して短期的に述べているのがミニ脚本です。
これは、ヘッジス・ケーパーとテイビー・ケーラーという二人の心理学者によって提起された、交流分析の概念のひとつです。

ミニ脚本で述べられている概念は、短時間に起こると考えられる行動パターンです。
人生脚本が自らの人生を物語的に計画してしまうものならば、ミニ脚本はそれを裏付けて強化していく行動のひとつひとつだと言うことができるでしょう。

ミニ脚本には以下の4つからなる基本概念があります。

【ドライバー】
「駆り立てるもの」とも言い、ミニ脚本の第一段階。
以前13の禁止令の項で述べた拮抗禁止令(完璧にしろ・満足させろ・努力しろ・強くなれ・急げ)を発し、これによって精神的に働きかけることです。

【ストッパー】
ドライバーの拮抗禁止令に対応しきれなくなると、次はこの「ストッパー」が起こります。
ストッパーにもドライバーと同じように、楽しむな・愛されるな・幸せになるな・自立するな、という4つの禁止令があります。

【ブレーマー】
ストッパーの禁止令が自分に対してではなく、他人に対して感じるようになることが「ブレーマー」です。

【ディスペア】
ディスペアとは絶望や落胆です。
他人に尽そうとする「ドライバー」、そのために自分を犠牲にしようとする「ストッパー」、責任転嫁の「ブレーマー」、これら三つが相互作用すると起こるものです。

交流分析・・・人生脚本・その2

人生脚本に書かれた道筋が幸せになれるものならいいのですが、不幸になる道筋が描かれているのであれば何としても避けたいものです。
しかし現実をみると、そのような人生脚本から逃れて、自由な人生を歩んでいる人は全人類中1パーセントにも満たないといわれています。
例えば、努力に努力を重ねて誰からも認められるようになった人格者でも、ある日突然思いもよらない犯罪を犯してしまうというケースが見られますね。
これは、幼い頃に作り上げてしまった、不幸な人生脚本どおりに生きようとする行為の表れである可能性があります。
深層意識ではその人生脚本どおり不幸にならなければいけないと思っているのに、現実では逆のことが起こっている。
それははたから見れば大変喜ばしいことなのに、自分自身では脚本どおりでないため居心地が悪く感じ、その結果自らを転落させる行為をしでかしてしまうのです。
ただ、人生脚本が無意識であるのと同じように、自分を陥れる行為も何故そんなことをしたのか自分自身理解できないということが多々あります。
行為が理解できないため、結局「やはり自分は駄目な人間なんだ」という結論に戻ってしまい、悪循環が起こるのです。

何故か分からないけれど不幸にしかなれない気がする・・・という方、気を付けてください。
それはあなたの無意識下にある人生脚本が原因かもしれませんよ。
良くない道筋の人生脚本を書きかえること、それが交流分析の目的でもあります。
人生脚本は交流分析しながら書きかえられ、それは大人になってからでも遅くありません。
できれば、交流分析に長けたカウンセラーの指導のもと行うとよいでしょう。

交流分析・・・人生脚本

人間はまだ幼いうちに未来の自分を想像すると考えられています。
エリック・バーンが提唱した交流分析において重要な理論が、この人生脚本と呼ばれるものです。
幼い頃というのは、個人差はありますが大体7歳までです。
それまでの間に、自分の育てられ方や周囲からの接し方をもとに、今後の人生の脚本を無意識に書いてしまうというのです。
人間は無意識のうちに作られたその人生脚本の筋書き通りの人生を送ります。
誰でも、自分の人生はその場その場に応じて判断して生きていると思うでしょうが、それにおいても、気付かないうちに特定の方向へ選択しているのです。
では、人生脚本はいったいどのように作られるのでしょうか。
先ほど、育てられ方は周囲の接し方と述べましたが、親からの愛情の与えられ方が大きな要因となることは間違いありません。
例えば、両親から優しい言葉をかけられ愛情いっぱいに育てられたのであれば、「自分は愛される人間で幸せになれる。自分の周りはいい人ばかり」というかんじの脚本が書かれます。
それに対し、虐待など酷い育てられ方をした場合、「自分は駄目な人間だ。何をしても上手くいかないし、幸せになれるはずがない」という脚本が書かれるのです。
不幸な脚本を作ってしまった人は「対抗脚本」というものを作ります。
対抗脚本は不幸にならないために書かれる自己救済要素ですが、これを実現させるのは極めて難しいとされています。
人生脚本が無意識で働いているのに対し、対抗脚本は意識的に考えないと働かせることはできません。
表向きは対抗脚本のとおりに努力していても、深層心理では人生脚本が働き続けているので、重要な選択を迫られたときには必ず不幸の道を歩んでしまうのです。